糞ニーピクチャーずを ぶっとばせ!
昨日の午前中
何気なしにNHK-FMを聞いていたら
(最近車の中は、いつもNHK-FMです)
あの悪魔の集団聖飢魔Ⅱを特集していた。
存廃が論議されているNHK-FMだけど、
悪魔の曲が流れるだなんて
時代も変わったねぇ~
というか、
聖飢魔Ⅱ自体がもう「クラシック」だということかしら。。。。。
ところで、、
週末ごとにわたくしめのお気に入りを紹介させていただく
Paradaise Weekend!!でございますが、
今週はこんな記事から。
・ソニー最大の国際ヒット作に 「ダ・ヴィンチ」
以前、blogでダヴィンチのことを書いたときにこんな風に書いたんだけど
思ったとおりの展開になったわけやね。
で、これから話すのは
なぜ「初恋の来た道」はクソ作品なのかということを
訥々と語って生きたいと思います。
こう見えても実は
いわゆる特定アジアの国の映画が好きで
高校生の頃からよく見ていました。
理由は簡単、
日本と文化が似ていて(「中華文化圏」なんだから似ていて当たり前)
ちょっと懐かしい匂いがする
でも日本映画みたいに着飾っていないところが好きで
岩波ホールで「芙蓉鎮」を観て以来
東アジアの映画を好き好んで見ていました(過去形)。
過去形の理由は、
後で述べます。
文化大革命で狂いまくった大国中国は
鎖国同然になると共に
ちゃんとした経済活動・文化活動を行わなくなった。
(一方その頃、川一つ隔てた香港映画は
ブルースリー、MrBOOなど、活況を呈していた)
文化大革命も収束が見えてきた頃、
↑の「芙蓉鎮」などの映画が登場するなど
中国映画界もやっとふつうになりかけてきたのである。
そのころ、陳凱歌(チェン・カイコー )や張芸謀(チャン・イーモー)など
「チャイニーズニューシネマ」ともいわれるような映画監督たちが
頭角を現してきたのである。
チャン・イーモーの監督デビュー作「紅いコーリャン」は
おもいっきり中国(日本人が、あぁ中国だねぇ~、と思う中国)しているので
今見ると「なんだかなぁ~」と思う向きもあるかもしれませんが、
(ここに授業で取上げた感想あり、おもいっきりネタバレ)
特に、日本人の描き方が(第2次大戦中の話なので)
今の北朝鮮モノのようにステレオタイプに描かれているけど、
たいりくだぁ~って感じでダイナミックに描かれています。
その朴訥としながらも筋が通っていて
作品の完成度は今ひとつと思いながら話の展開のユニークさに
目を見張ったものです。
この作品以降、チャンイーモーは
「菊豆(チュイトウ)」、「紅夢」 、「秋菊の物語」などの良作を連発する。
特に
「風櫃の少年」「恋恋風塵」「冬冬の夏休み」などの作品ですでに頭角を現していた
台湾の映画監督、侯孝賢 (ホウ・シャオシェン)と組んだ
「紅夢」は
この後の「チャン・イーモーらしさ」というか、
可愛い女の子を前面に出したら喰いつきよかんべな路線が
この作品にも顕れている。
かといって、
作品の質は下がっているわけでなく、
華やかな、きれいな映像美を駆使して
作品の質をかえって盛り上げている。
ある旧家の第4夫人として嫁いできた女の子が
その「大奥」のような生活の中で色々観て体験して。。。。。
という作品なんだけど、
いつの時代だか分からない(10年前なのか、1000年前なのか)時代背景も
あえて語らないところが良く、
ラストのその女の子が踊っているシーンが
かなり印象良くいつまでも残りました。
「秋菊の物語」は現在の中国、
でも片田舎
でもどこにでもありそうな片田舎
のある村を舞台にした、
社会風刺を題材にしたコメディーが元らしいのだけれど、
同じことの繰りかえし(ままならない官僚社会への風刺)とともに
片田舎に住む人々を
その社会を、毎日の生活を
きれいな画像で描いている。
面白くもあり、
きれいな作品でもある。
もちろん女の子も可愛い(だって、コン・リー)
さて、
その間、チェン・カイコーは
「さらば、わが愛/覇王別姫(はおうべっき)」という作品を発表する。
ここいら辺から
わたくしめの嫌いな時代に入ってくる。
長くなってきたので
次回に続く。。。。。
何気なしにNHK-FMを聞いていたら
(最近車の中は、いつもNHK-FMです)
あの悪魔の集団聖飢魔Ⅱを特集していた。
存廃が論議されているNHK-FMだけど、
悪魔の曲が流れるだなんて
時代も変わったねぇ~
というか、
聖飢魔Ⅱ自体がもう「クラシック」だということかしら。。。。。
ところで、、
週末ごとにわたくしめのお気に入りを紹介させていただく
Paradaise Weekend!!でございますが、
今週はこんな記事から。
・ソニー最大の国際ヒット作に 「ダ・ヴィンチ」
以前、blogでダヴィンチのことを書いたときにこんな風に書いたんだけど
この一連の騒ぎも、
糞ニーピクチャーずにしてみれば、
宣伝効果の一因だってことで、
実はほくそえんでいるだろうなぁ~
特に日本や西欧などの
宗教的無法地帯には、
このニュース性だけで興味を持たせた、
「物言わぬ宣伝効果」と思って
喜んでいることだろう。。。。。。。。
(ry
だいだい
製作・配給の糞ニーピクチャーずと言う会社は、
「初恋の来た道」にしても
「SAYURI」にしても
話題になりゃ、なんでもええーん、ちゃう?と言う姿勢バリバリの会社だもんで
作品の質は最初から問題にはなっていないと思う。
(映画マニアから言わせてもらうと
この姿勢は、
まったく腹立たしい限り、である)
思ったとおりの展開になったわけやね。
で、これから話すのは
なぜ「初恋の来た道」はクソ作品なのかということを
訥々と語って生きたいと思います。
こう見えても実は
いわゆる特定アジアの国の映画が好きで
高校生の頃からよく見ていました。
理由は簡単、
日本と文化が似ていて(「中華文化圏」なんだから似ていて当たり前)
ちょっと懐かしい匂いがする
でも日本映画みたいに着飾っていないところが好きで
岩波ホールで「芙蓉鎮」を観て以来
東アジアの映画を好き好んで見ていました(過去形)。
過去形の理由は、
後で述べます。
文化大革命で狂いまくった大国中国は
鎖国同然になると共に
ちゃんとした経済活動・文化活動を行わなくなった。
(一方その頃、川一つ隔てた香港映画は
ブルースリー、MrBOOなど、活況を呈していた)
文化大革命も収束が見えてきた頃、
↑の「芙蓉鎮」などの映画が登場するなど
中国映画界もやっとふつうになりかけてきたのである。
そのころ、陳凱歌(チェン・カイコー )や張芸謀(チャン・イーモー)など
「チャイニーズニューシネマ」ともいわれるような映画監督たちが
頭角を現してきたのである。
チャン・イーモーの監督デビュー作「紅いコーリャン」は
おもいっきり中国(日本人が、あぁ中国だねぇ~、と思う中国)しているので
今見ると「なんだかなぁ~」と思う向きもあるかもしれませんが、
(ここに授業で取上げた感想あり、おもいっきりネタバレ)
特に、日本人の描き方が(第2次大戦中の話なので)
今の北朝鮮モノのようにステレオタイプに描かれているけど、
たいりくだぁ~って感じでダイナミックに描かれています。
その朴訥としながらも筋が通っていて
作品の完成度は今ひとつと思いながら話の展開のユニークさに
目を見張ったものです。
この作品以降、チャンイーモーは
「菊豆(チュイトウ)」、「紅夢」 、「秋菊の物語」などの良作を連発する。
特に
「風櫃の少年」「恋恋風塵」「冬冬の夏休み」などの作品ですでに頭角を現していた
台湾の映画監督、侯孝賢 (ホウ・シャオシェン)と組んだ
「紅夢」は
この後の「チャン・イーモーらしさ」というか、
可愛い女の子を前面に出したら喰いつきよかんべな路線が
この作品にも顕れている。
かといって、
作品の質は下がっているわけでなく、
華やかな、きれいな映像美を駆使して
作品の質をかえって盛り上げている。
ある旧家の第4夫人として嫁いできた女の子が
その「大奥」のような生活の中で色々観て体験して。。。。。
という作品なんだけど、
いつの時代だか分からない(10年前なのか、1000年前なのか)時代背景も
あえて語らないところが良く、
ラストのその女の子が踊っているシーンが
かなり印象良くいつまでも残りました。
「秋菊の物語」は現在の中国、
でも片田舎
でもどこにでもありそうな片田舎
のある村を舞台にした、
社会風刺を題材にしたコメディーが元らしいのだけれど、
同じことの繰りかえし(ままならない官僚社会への風刺)とともに
片田舎に住む人々を
その社会を、毎日の生活を
きれいな画像で描いている。
面白くもあり、
きれいな作品でもある。
もちろん女の子も可愛い(だって、コン・リー)
さて、
その間、チェン・カイコーは
「さらば、わが愛/覇王別姫(はおうべっき)」という作品を発表する。
ここいら辺から
わたくしめの嫌いな時代に入ってくる。
長くなってきたので
次回に続く。。。。。
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